最近嫌なニュースばかり観る気がする

 

人の人生に関与しないでほしい。

 

というか、根本的な話になると

人間はみんな全く別物なので、

若者はとか、老人はとかいうくくり方で話を進める考え方が怖い。

 

最近これのすごくひどいバージョンをみる。

Twitterや動画のコメント欄などで、

政治や、著名人、あらゆることに批判ムードになっていて

その数日後に

その政治や、著名人に対して評価するムードになることがある

 

すると

手のひら返しという表現をよく見ることがあるが、

まったく意味が分からない

同じ人がコメントをしているわけがないのに

国民、ツイッタラ

というくくりでとらえてしまう人

すごく危ない考え方を持っていると思っている

 

「今までさんざん文句を言っていたのに手のひらを返したように

評価ムードになるコメント欄」

そういうわけではない。

 

アンチや批判したい評論家の人たちがコメントをしていたのが

ファンや可哀そうだと思っていた人たちのコメントに変わったのだと思う。

 

それに

世の中の声というほどの人数がコメント

ツイートをしているわけではないと思う。

 

某配信者の例ではあるが

3万が配信を観ていたらコメントをする人は10パーセントもいないらしい。

いつも同じ人がコメントをしているということ

でも配信が荒れる、動画が荒れるという表現になる

 

90パーセントの人たちは

何かを思っていたとしても、火に薪をくべるようなことはしない

 

それでも表面上の形だけで物事を判断する人がいる

偉そうな人だと思う

国や人種の違いもそう

何かがあると、その国の人たちに矛先が向く

今の時代どこの国でどんな人のどんな思想と行動があるなんて

わかったもんじゃない

それでも起きた国

ということで判断される

 

日本人なんて人は存在しない

男なんて人も女なんて人も存在しない

若者という人も、老人という人も存在しない

それらは状態を表す言葉でしかない

国籍を聞かれて初めて、性別を聞かれて初めて

そう答えるだけである

 

少なくとも自分の世界には一人もいない

友達、家族とかいうくくりも

悪くはないけれど、違う気もしている

 

呼び名なんて1つでいい

親に与えられた素敵なものを持っている

状態はいつも最高、男でも女でもない

自分にとっての最高

ただそれだけ

 

 

 

 

 

こういう悪には声を上げるべきだと思う

 

 

燃やすべきものは燃やすべきだと思う

ただ荼毘に付すだけではいけない

 

 

 

 

生きているだけよかったのか

いいや、顔や体に傷が残れば、それだけで苦しい生活になる

電車にも乗れないだろう

今後一生、夢で見ることになる

それこそ男の人の声すら聞けなくなるかもしれない。

 

今回のがここまで話題になっているのは

動機からくるものだと思う

 

何気ない普通の話ならば

誰もが他人事のように過ごしていたのかもしれない

それもそれだ

 

どんな動機であろうと

心がえぐれるのは関係のない周りの人たちだけで

当事者たちには関係なく 傷が残る。

 

 

自分の大切な人たちが

こういう風になったらと思うと

この間の幼稚園のバスの事件も、本当に今後の人生が想像つかない。

どんな後悔もするだろう

 

あとはこういう人に感銘を受ける人たちが

必ず現れるということ

 

またはこういうセリフで人を揶揄する人も現れるということ。

世間のイメージに

異性にモテなくてコンプレックスのある人が

人を殺めそうというものが植え付けられてしまったこと。

 

告白を断ったら

危ない目に合うのではないかと危惧

 

可能性という面では

なんともいえないが、彼と我々は性別も同じで

同じコンプレックスを持っていたとしても

まったく関係のない、関わり合いのない、まったく別の生命体だということ

 

 

 

 

 

あまりまとまりのない文章になってしまった

 

当事者が自分の知り合いなら

と考えてしまうと

答えが出ない

答えというものはそもそも無いけれど、時間が戻ればいいと思う

としか言えないけれど

 

幸せかどうか、人が決めれると思っている時点でどうかしている

 

 

誰でもいいなら自分にしろ

人の人生に手を出すな

 

 

 

 

 

雨が匂いだけを降り残した夜

星の見えない空の下で

君と散歩をする

夢を見ました

 

汗が冷えたつめたい肌と

座れないベンチを横目に

夜灯を返すコンクリートを進みました

 

いつから聞こえていたのか

わからない蛙の鳴き声に気づいた時にはもう

2人の声と足音以外は全て飲み込まれていました。

 

雨で掘り起こされた根っこの

香りが公園の入り口を包む

無理矢理抜けたその先に

一際目立つLEDの光

唯一の文明に辿り着くも

鼻先はまだ少し苦い

 

冷気にひやされより一層つめたくなる肌が

アイスを選んでいる

 

屋台のかき氷に並ぶよりも花火を優先した

数時間前の2人

身体が冷えると足の疲れに気づき始める

 

とんでもない量の油の中から掬い上げられた唐揚げと、人の密度が

帯に巻かれた空腹を騙し続けていた事に気付くも

 

今日はもう何もいらない

味も匂いも

更新はいらない

 

このままお風呂に入って

眠りにつく

 

花火の音が聞こえる気がする

 

夢とこの国の夏は一夜で終わる

本当に儚い

ただ美しいと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても とても悲しい

そもそもの価値はそこにあるもので決まる

その友人は寧ろ暗い社会と提案を

受け入れがたい安寧を守ってる

廊下に立たされていた彼は全部わかっていた

それを横目に真っ暗な黒板をただ見つめる

彼は僕らを通り越した窓の先の空を見ていた

ただひたむきに間違いを犯していく人

過ちを正して戦う社会のヒーローばかりが

狡猾であり愚か者の定理であると説いた空、窓

彼は下校中に実っていた蛇イチゴ食べた

咀嚼 吐き出し 毒か

ただひたむきに間違いを犯していく 

そのままでいてほしい

暗い 暗い黒板をみつめた至らぬわ

 

午後5時半

濡れたアスファルトの匂いと

土壌まで辿り着けず干からびた蚯蚓

小石を蹴る先頭の奴らの影を踏み続ける悪戯

ぬるくなった水を振り回している日暮

耕された田畑を耕し返す悪戯

水門を開ける悪戯

その先に一体何があるというのだろうか

ただただ黒トカゲを見つめ続けた

いつになっても緑色には見えない

目の前の魂を捥がれた奴らと同じ

この流れに飲まれる前に

生きている証拠が欲しいと

毒を飲み込んだ彼も 私も

止まらぬ止まらぬ

小石をヒールアップして

土壌へ蹴とばす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生はピタゴラスイッチ

 

ぐるぐる回って、

バタバタ倒れて、

初めに転がっていたはずのビー玉が

また別の何かに切り替わっていて

それが最終的にゴールに辿り着く

 

あの30秒程度の装置を

平均80年の長さにしたスローバージョン

そのものであると思う。

 

あれがもし、

初めのビー玉がそのままゴールに到着する

というルールで組まれていたら凄く単純で

つまらない装置になるのだと思う。

 

ビー玉が落ちたと思えば

ぶつかったドミノが倒れ始め、

その最後の1つが、振り子を動かし

振り子の紐が伸びきったと思えば、別のビー玉に接触する。

そうやってあらゆる動力を駆使して

ゴールするからこそ面白い

複雑になればなるほど、面白い

 

だからいつまでも、初めに落ちたビー玉に焦点を当て続けるのは辞めるべきだ。

この人生の動力はその瞬間から全く別の何かに変わって

着実に動き始めている。

何度止めようとしても、止まらないのだから

そう実感する。

 

動かないものを見続けながらも

生き続けている矛盾に気付くべきだ。

過去を見る事は今を生きている何にも起因しない。

 

 

装置なんて人によって、

その時その瞬間によって全然違う

ただ転がっているだけで進む人も

毎日、倒れ続ける人も

今自分がやっている事が無意味だと感じる人も

 

生きているという事が、無意識の進歩になっている。

 

なので

おもいっきり転がって

どうせ倒れるなら思いっきり手を伸ばした方がいい、

そして

振り子のような人生を送っている人

何回も同じことを繰り返す中で

必ず変わりつつある一つのポイントを見つけるべきだ

紐がのびたり、スピードが上がったり、

同じ事を繰り返しているようで、必ずどこかで何かが変わっている。

それが次の動力に繋がるヒントになる

もしそれに気付くことができれば、次のビー玉にぶつかる瞬間におもいっきり勢い良くぶつかれば良い

するととんでもない勢いで転がっていく事ができる。

 

だから皆んな頑張んび

 

 

という

お話でした。

 

tiktokピタゴラスイッチを見て

そこから少し考えてしまいこんな事に

 

無駄な時間だとは言わせない。

認めたく無いもんな

 

 

 

 

 

 

 

少しうるさい飲食店の入口での出来事

 

店員『いらっしゃいませ、2名様ですね、始めにお名前お伺いしてもよろしいでしょうか?』

友人『ん、、?飲み物ですか??』

店員『あ..いえ、、あの、お名前を...』

 

僅か数秒のテンポが織りなしたこの奇跡に圧倒されていた。

関西生まれ関西育ち

曲がりなりにも突っ込む事には定評がある自分だが、ただ笑った後に

裏拍で入ることしかできなかった

自粛期間の代償はあまりにも大きかった

 

サンドウィッチマンがM1の王者を取った

あのレベルのネタを野生で実体験した。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに居酒屋に行った

何1つ悪い事をしていないはずなのに

違法なんじゃ無いかってぐらいの気持ちだった

 

 

 

娑婆の飯は絶対にうまい

酒ってもんは更にうまい

 

居酒屋のご飯なんてものは

特別なものでも無い限り、

感想を言い合うのは一口目だけだという

暗黙のルールがある気がする。

 

どれほど美しいコーヒーでも

二口目は溜息、三口目にはお互いの会話に集中しているのが、理想だと思っている。

 

 

後は何一つ感じる事なく、

美味しい居酒屋、美しい喫茶店

そんな認識がなくとも

当たり前のようにその店に集まる

そういう様式美がそこにはある。

 

 

 

 

入口で起きたくだらない出来事が

記憶に残ることなんて、本当はなかった

 

 

 

『あちらのお客様がライターを貸して欲しいみたいです』

急にお店の人に言われた

 

バーカウンターの端から、

バーボンのロックが滑ってくるが如く勢いの衝撃

 

 

まるで、『あちらのお客様からです』 と言わんばかりの顔をした店員と、

動揺を隠しきれない ''あちらのお客様'' ご本人

 

それを見た自分は堪えきれず吹き出してしまった

そんな事があるはずがなさすぎる

 

''あちらのお客様''の反応的にも

お店の状況的にも

彼女たちが店員にライターを貸してほしい

と尋ねた事は容易に想像ができた

 

彼女たちの席と店員を経た先に、

自分たちの席がある為、ライターを借りたいと差し出した手の所作がこちらに向いていたのだろうか。

 

仮にも大都会大阪のど真ん中

1秒に5人はライターを借りてそうな世界で

あっけらかんとしている人間に文明を感じた。

 

人類はいつか月にだって火星にだって

平気でたどり着くと確信した。

 

この国で1番月に近いのは

前澤社長ではなく、この目の前の人間だった。

 

自分には宇宙に行くという夢がある

理屈ではなく、感情論の話である

なので目的はまだない

ただ死ぬまでには絶対に宇宙に行きたい

 

ただ我々 現生人類の在り方として、

本当に宇宙を見るべき人間は

あの文明を具現化した存在だと思った。

 

人類の夢の先で

無意味にライターに火をつけて

宇宙船ごと爆ぜては、流星になるべき人間が

目の前にいた。

 

 

面白くて堪らなかった

人をみて笑ったわけでもなく、

馬鹿にしているわけでもない

 

 

ただ好きな友達と会えた嬉しさと

入口でのショートコントで

口角が下がらなくなっていただけだ。

 

 

 

慣れない居酒屋は何度入っても少し緊張する

田舎者なのか小心者なのか

店員に偉そうに大きな態度を取るなんてもってのほかだ

 

できるだけ人を見て笑うなんて事はしたくないと思っているが

 

あまりにもコミカルな芸に

おもいっきり笑ってしまった

 

 

笑いすぎと言われるほどには笑った

 

 

久しぶりに出た娑婆の金曜日に

日本国民の臨界点と、未来をみた。

 

 

本当に世界線レベルでおかしかった

 

平成でも令和でも測れない

裏側の世界

ほど魅力的なものはない

 

連れってくれてありがとう

夕方に起きたのに良い日だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喪失感

お気に入りのドラマが終わってしまった時

大きなイベントが終わってしまった時

自分は全く関与していないのに

これまでそれで蓋をしていたものに

また色々入ってくるようになる

 

そうしてまた

お気に入りのドラマが見つかり

また次のイベントが始まり

その度にまたこれが1番だってなって

泣いて笑ってはまたそれで蓋をし

これが本当に最後の最高だって思う

 

そう同じ時を通りすがる

あの日は雨、この日は晴れ、いつの日かきっと虹

冷めてしまうわけじゃないけれど

すぐ次の熱がやってくる

感度、感受性

ぴんとくる表現ではないけれど

本当に無限大に持っている気がする。

 

少し怖いけれど

誰でも良くて、何でもいいのかもしれない

とすら思う

それぐらい何回も何回も

自分が一体何者なのかよく分からなくなる

最高は更新される より最高へと

1分1秒前にすら戻りたいとは思わないと言えば嘘になる。

後悔する時もあるけれど

いつかきっと全てに満足している。

その瞬間が本当に、堪らない

 

今日は台風が過ぎた日のような

そんな1日になった。

別に何かあったわけではない、

1週間前から毎日見ていたスクリム

そして本番の今日、二次会

12時間ずっとモニターの前でただ放送を観ていただけだ。

 

何かに本気になる人は良い

何かに本気になる他人は

何にも本気になれない友達より

ずっと良い

 

本気で生きている人は

人を本気にさせる

 

俺の今週は毎日放送を観て

1ファンとしてただの養分と化した

また別の世界ではただの1票と化した

 

 

別に何かあったわけじゃない

 

誰かにとって

面白い人でありたい とも、

つまらない人になりたくない とも、

思わない

 

面白ければ一緒にいてくれて、

つまらなければ去っていってくれれば良い

とは思っている。

 

 

 

友達とか、恋人とか、親友とか、

時間と相性で決まるのかな

最近はそういうのに対する難しい局面を目の当たりにする事が多かった

白黒つけるには 確かに相応しかった滅びの呪文

俺たちはもう大人だから

秘密は秘密のままで、

最後まで守り切らないといけないのかもしれない

グレーのまま生きなくてはいけないのかもしれない

 

秘密は持っている

秘密は教えてあげるものではなくて

叶えるものだということは教わった

 

 

 

下書きがほぼ掃き溜めとなった

 

 

毎日観てたわいわいと、東海

最近は全然観てないな

聴いている曲が変わるように

自然と生活が変わりつつある

 

自分は基本的に何かを欲しているしている

常に何かが足りなくて

何かを得ようしているしている

 

今日は希望に満ちていても

明日は絶望に打ちひしがれている

 

今日は料理を楽しんで

明日は死ぬことを考えている

 

包丁の見方が変わるように

自分の味方は変わる

 

裏返っているようでただ平行しているだけの

その裏側の世界にいる時もあれば

平行してるように見えて裏返った世界に

必死にしがみついている

 

ただでさえそんな、世界で

清く正しく生きること

誰も傷つけずに生きること

なんならそのバランスからはみ出さずに生きること

それが求められていること

 

幸せになって欲しい人なんて沢山いる

知らないところで勝手に幸せになっていて欲しい

 

幸せにしたい人は少ない

だからこそ確実に自分から作用する何かが

その人達の幸せに繋がっていて欲しい

 

悪影響さえ及ぼさなければ

別に繋がらなくても良いんだけれども

 

 

正直寝ようか迷う

寝てしまうと考え方が変わってしまうので

多分これはこのまま下書きにいくのだと思う

そうやって死んでいった言葉を

何回も見てきた

 

考え方が変わるって言うのは

今述べている事が全て無かったことになるのではなく、

それらをここに載せる気だったのが

気失せるというだけの話

 

こういうものを載せるのにも

ある程度のテンションと勢いが必要である

学生時代によくやったライブ後の長文LINEと同じで、あんなものは当日にそのまま送らないと

訳がわからなくなる。送る気がなくなる。

 

どんどんそういう機会が無くなっていくのかね

 

普通に生きていたらそういう機会が無くなっていく

でもそういう機会がある人たちに

今日自分は心が動かされたのだと思う

 

文章にしたらこんなにもつらつら長いもの

それこそが

毎日苦しまされているあの何回も繰り返す

悩み というもの正体  ゼラチン質の

 

で?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

似たような話を前にも書いたかもしれないけれど

何かを好きになると、

 

その何かが在り始めてから、

今(自分がそれを好きになるタイミング)に至るまでの時間

 

に対して、悲しくなる。

 

人に対しても、ものに対しても、概念に対しても。何に対しても。

 

 

大人になって出会った恋人に対して

この人の高校生活、いわゆる青春に、自分も居たかった。と思う

結成10年目を迎えたバンドを好きになったら

デビュー当時や、売れるまでの流れを見届けたかったと思う。

YouTuberや、アーティスト、友達、

全部そう思う。

 

感覚としては、

 

その人たちの元に自分が到着した。

その楽しそうな界隈に、道すがらハマった。

 

というものに近い。

楽しそうなものに近づいていく、引き寄せられていく。

 

まんまと楽しんでしまう。

でもその空間はもっと前から存在していて、

いつも始まりを見ることができない

いつも遅れてやってきてしまう自分。

 

楽しみで仕方がない修学旅行の前夜に

遅刻してしまう夢を見るあの、切なさ

 

楽しい物や人に、触れる度に

間に合わない気持ちになる。

 

 

でも、自分の世界を知って欲しいとは思わない

過去を知って欲しいとは思わない

教えたくない訳ではなくて、

自分という存在、24年間に魅力を感じないからかも知れない。

自分が今まで感じてきた、あの楽しさと切なさ、過去を探りたくなる虚しさが、自分の中には見えない。

当たり前のことなのかも知れない。自分だから。

 

過去の物に魅力を感じなくなるのは

当たり前のことなのかも知れない。

 

好きな人の高校時代は、

自分にとっては過去でも未来でもなく、

もはや夢に近い

 

 

 

 

 

 

 

やはり何かを好きになると

自分の中で世界が変わる。

でも実際には何も変わってなくて

ただそこを見ていなかった事に気がつく

 

 

 

 

人の昔話を聞くのが好き。

少し悲しくなるのは怖いもの見たさのようなもので、

あぁ、知りたいと思うから。

好きになったアーティストや、物は大体歴史を見てしまう。

有名人はネットにデータがあって良い。

 

その人の昔の姿が気になった瞬間が

その人の事を気になり始めた瞬間かもしれない。

恋愛ではない。

 

 

 

 

不思議な感覚だが

どこか過去に向かって生きていこうとしてしまう自分がいる

何かをやり残している気持ちが

常にあり続ける。

それを度々、発見してしまう。

 

人は何かを覚えるのではなくて

何かを思い出す生き物なのかも知れない

その方が強い気がする

 

才能なんてのもきっとそう

 

僕たち凡人は、音楽を覚えて成長する。

でも天才は少し違う。

楽家の子供は親が記したDNAから

何かを思い出したかのように成長している。

そんな気がする。

 

親に似てしまうのを血や遺伝子だと言うが

それは単に、原因でしかない

血と遺伝子が同じ(似ている)から、

そうなるという、過程の話でしかなくて

その中身がどのように作用しているのか

 

その辺を詳しく知りたいと思った。

 

 

 

いつも世間は有限を求める

人にも、物にも。

その方が魅力的なのかなぁ、

そして儲かるらしい、有限は

いいや、無限がいい