何か自分に不利益な事象とか

単純に自分の能力不足を

周りのせいにする

 

それは

例えば試合で活躍できなかったのを

チームメイトのせいにするとか直接的で一時的な事じゃなくて

 

何かがうまくいかない時に

周りの同じくうまくいっていない人を見て

時にはバカにして安心して

それで一時的に大丈夫な気がして

その癖はおそらく継続的なもので

 

向き合うのは自分自身ではなく常に弱者

その弱者とされる相手も、継続的に続けてきた

自己肯定により設定された昔から変わらない程度の弱者

小学生の頃に癖づいたような、容姿をどうこうみたいな基準

そうであってほしい願望じみた基準

 

心の借金のようなもの

自分自身の不安や悲しみに向かうわけではなく

他者から不安や悲しみを借りて相殺するやり方

 

他人と自分との違いは

当人同士の間にだけ存在するに過ぎない

しかしそれを武器に世を渡り歩く

周りの人間をある程度見下したら

自分が素晴らしい人間かのように錯覚する

 

 

常にその方法で生きている

いつもいつも自分よりも下だと思っている人間をみてる

 

その対象がいなくなると生き方を失う

まるで自分には何もないように感じる

自分は凄く劣っているように感じ始める

 

 

元々何もなかっただけなのにそう感じる

その瞬間、楽したいがために手を出した薬物

その時の悲しみをどうにか取り除こうと

他人を貶す

 

中毒になったら評価基準は常に他人

幸も不幸も全部他人

受動的な人間

 

不幸にされる側の人間

幸せにしてもらう側の人間

 

何をしても幸せになれない人間

 

 

 

ふとした時に思うことがある。

この世界で仕事をしている人が滑稽に見えることがある。

 

コンビニやスーパーマーケット、警察官、ガソリンスタンド。

全部おままごとに見える時がある。

 

いい歳した大人がレジ打ちして、

なりきって

演じて

よく考えたらくそおもろいよな。

 

オフィスで電話対応したり、会社を背負って営業に行ったり。

 

アパレルとか。

 

お仕事している人を見ると、自分も含めてマジで馬鹿らしく思える。

 

もし神様がいたらくそ笑ってそう

生きるためにわざわざ、おままごとしてるの 惨めすぎる~ ガキ過ぎる

 

宇宙人から見たら、地球人って、いつまでおままごとしてんの?ってなるんかな

めっちゃガキ扱いされてそう。

実はめちゃくちゃ若手の惑星で、

今は赤ちゃんみたいな段階で おままごとして喜んでいるから

高次元の宇宙の法律で守られてたりしてな。

 

 

てかそのわけわからん設定のおままごとで、

人間関係とか言って悩んでるのガチでしょうもなすぎて草

ネネちゃんかよ。

 

 

 

一つのことにハマるとそれに没頭してしまう癖を直したい。

 

それがずっと続くならそれでいいが、そうもいかない。

 

2週間ほどで全く別のものに没頭している。

 

でも毎回、人生を後悔してしまうほど没頭してしまう。

 

音楽をやっていればよかった

小説をかいていればよかった

演技をしていればよかった

動画配信をしていればよかった

ユーチューバーになればよかった

 

毎回何かに恋焦がれては、そうでない自分に後悔する。

そんなループから抜け出せずにいる。

 

この気持ちもまたすぐにどうでもよくなる。

 

昔あこがれていた幸せや

世間で価値のある幸せをある程度手に入れても本当に空しい。

 

失って感じる虚無感よりも

何かを得てなお感じる虚しさのほうがよっぽどどうしようもない。

 

世の中の人間はいったい何を考えて、

何のためにそこまでして生き続けているのだろうか。

 

生きるのはとんでもなくエネルギーを使う

そこまでして手に入ったものがこんなに空しいのか。

 

これが本当ならどうしようもない

 

 

最近あった損してるなあこの人という話。

 

人間というものはそもそも、自分を基準に世の中を見ることが多いと思っていて、

例えば人の悪口をたくさん言ったり思いつく人は、

何かあったときに人に悪口を言われたり、思われているんじゃないかと心配になる人が多いイメージで。

 

だからこそ、何も考えていない人は楽でいいなというセリフも、

何も考えていないんじゃなくて、その人の基準ではだれが何をしようとも、

たいていのことでは何も反応しないだけだと思っている。

 

ようするに人のことが嫌いな人ほど、

人に嫌われる ような 人生で、

人のことが好きな人ほど、

ほかの人に好かれている ような 人生

だと感じるはずだ。

 

この間、

典型的な人間に出会って話をした。

その人を一言で表すと、文化祭とか本気でやるのださいよね。

って人。

でも、本当は本気で楽しみたいから、誰かに本気にさせてほしい

って人。

その人の話を聞いていると、

その人自身がそう思っているんじゃなくて、

周りにそう思われてしまいそうで嫌だということだった。

自分ならそう感じるから、周りにもそう感じられることを危惧していた。

一種の防衛本能でもある、

言われるぐらいなら言う側になったほうがいいってやつ。

 

自分は失敗を多くしてきた、

という人よりも

自分は失敗を多く見てきた

という人のほうがそういう傾向にあるのかもしれない。

とその人は言っていた。

 

自分は末っ子だから上の人の失敗を多く見てきた。

だから失敗するのが怖いと言っていた。

別に兄弟の関係性がどうとかいう話ではないが、

納得はできた。

 

 

 

 

我々は動物であるべきか、人間であるべきか。

という話。

 

地球上にはこの2種類の人類がいるように思う

それは都市の発展具合にもよるもので、選んでどうにかなるものでもない

ただ基本的には1種類であるべきだと思うし、

1つの種として、統一されなければ滅びそうだと思った。

 

犬や猫なんてのも、野生のそれとペットのそれでは

もう完全に違う種類のように思う。

彼らはペットとしての生活と、野生としての生活

選べるとしたらどちらを選ぶのだろうか。

 

人類もそうだ、動物としてのヒトか、人間としての人か

どちらを選ぶのだろうか。

人の命を奪うヒト、人の物を盗むヒト

自分の命を殺す人、ヒトの能力を妬み羨む人

この国の犯罪やルールはほとんど人間用に作られているが

この国の人類が全て人間であるとは限らないとする場合、

法律は国の正解ではなく、国内の大多数の人間として生きる人類のエゴのようにも思う。

地球規模ではどのくらいの割合なのだろうか。

 

日本はかなり裕福な国であるため、多くの人間が生活をすることができている

人間が多い場所は野生動物が少ない。

それはこの地球で決まっていることだ

動物であるヒトもこの国の中にはほとんどいない。

それこそ法律やルール、教育など国の力で、人間が住むべき場所が確立されている。

だから争いごとも少ない

ほかの国は、まだ不安定だから戦争とか、犯罪とか

多分それらが平気で起こるんだと思う。

 

やっぱりどっちかに統一しないと

種としての存続は難しいように思う。

 

特に人類は、変化、進化、が激しい生き物だから

多種多様なものが存在しており、

生き物図鑑に載るようなオリジナルの姿が存在しないように思う。

 

 

自分はこの国で文字を打っている以上、

犬猫で言えば野生ではなく、飼育されている部類に入るように思う。

同じ人類が友達や家族にいる

もし野生の人類を見つけたとしたら、可能ならこちら側に来いと思うだろう。

それを飼い猫の立場で置き換えると、野良猫が全ていなくなって

全てが飼い猫になればいいと思うのと同じだと思う。

ネズミなら、ネズミ。

虫なら虫

どの立場でも飼育されている側は、こちらの方が幸福で

我々が虫であり、ネズミであり、猫であると思うに違いない

猫らしくあるためにコタツで丸くなり

ネズミらしさをもとめてチーズを食べて

虫らしい幸福を得るために、脱皮するのだ

 

我々飼育されている人間という種の人類も

精神科医という他人がみつけた幸福に食らいつき、SNS上での見栄えを気にしたファッショナブルな幸福だけを幸せと呼んで

人間らしさというフレックスタイムな生活を送っているはずだ、

 

そして猫が猫であるべき姿はこたつではなく自然のなかだと言い張り、

捕獲を規制し、

ネズミを自然から奪っては、できる限り自然に近づけた環境で飼育する

結局、人間という生き物は、そうあるべき姿や、そうあってほしい姿に固執する。

それをペットや飼育と呼んで、また人間らしい幸福の1ページに記述する。

 

いかに矛盾しきっているか

ということがよくわかる

人間という種は明らかにこの星では異質で、

生物学的法律や、自然界のルールで見ると、

我々の行う窃盗や殺害なんてものよりももっと気持ちの悪い

この世の中で1番多種に影響を与える存在であることがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

今の仕事

案件が振られれば振られるほど、嬉しくなる。

仕事が増えれば増えるほど

自分の収入に直結するからだ

ハッキリ言ってこんな合理的な仕事した事がない。

でもそれが仕事ってもんだ。

 

漁に出ていっぱい魚を釣れば

いっぱいお金に変わるんだもの

それが元来の仕事ってもんだ

 

でも、船の運転手は

どんだけ頑張っても1回の航海で1律の金額だ

 

今までは船の運転手だった。

利益を得る船を動かしているだけの存在。

それならばいっそ魚になった方が

自分に油をつけて筋肉をつけて泳ぎ回った方が

自分が高値になるんだから

大海原での生き方は合理的な方が良い

 

世の中は

その人を雇うのに払う給料と別に

そこから約2.2〜2.4倍程度の必要経費を払っているらしい。

(交通費とか、電気代とか、家賃とかその他諸々)

つまり20万で人を雇うには40万ちょいも必要なのだそう。

年収240万の人間は、会社に500万の利益を出さないと単純に赤字なのだ。

今まで働いていた会社は、別にそんなものを個人に求める世界ではなかった。

利益はこっちで勝手に生むから、黙って言われたことをし続けていればそれで良かった。

何も求めない代わりに何も求められなかった。

10年もいたら、理由もなく10万円分昇給していたかもしれない。

いやもはやそんな良い会社でもない。

黙っておくにも質を求められる世の中みたいだ。