お金がない人と、お金がある人では、
お金がない人のほうが生きるのにより多くのお金を消費するんだって話。
娯楽とか、食事の話ではなくて
最低限の生活をするのに必要なお金の話。
お金がある人は、駅前の家に住んでいて
お金がない人は駅から遠い家に住んでいるとする。
お金がある人は駅まで徒歩で5分程度。
お金がない人は、自転車やバイクに乗って10分ほどかかるとする。
お金がない人は、まず駅前の駐輪場を毎月契約しないといけない。
もっと言えば、自転車やバイクを購入する必要がある。
悪天候の日は駅まで行くのに、大変な思いをしないといけない、
事故で死ぬ可能性も、駅前よりも少し高い
電車に乗り遅れて学校や会社に遅れてしまう可能性だってある。
駅前に住んでいる人は四肢が自由なうちはそういった影響をうけない
テストや会議など、大切なイベントも電車の遅延以外の影響をほとんどうけない
もっとお金があるならば都心近くに住むだろう
その場合は毎朝、毎晩通勤通学の時間が違ってくる
通勤通学の時間が違うと、
毎月の定期代や交通費が違ってくる。
お金がなくて遠くに住んでいる人は
お金がないのに多くのお金を費やして毎月通わなければいけない。
さらに消費するエネルギーが違ってくる。
時間をかけて移動する人は、その分多くのエネルギーを消費する。
多くの食費につながるかもしれない。
帰宅までの誘惑に負けて外食がかさなるかもしれない。
終電が早い為、タクシーで帰らないといけない可能性も、
お金がある人よりも高くなる。
もちろんタクシーの運賃もその分高くなる。
終電がなくても歩いて1時間で帰れる人に比べて
ネットカフェで宿泊しないといけないかもしれない。
消費するエネルギーとは人間だけではない
携帯電話や無線のイヤホン、
早く寿命がくるだろう
なくしてしまう可能性も高くなるかもしれない
モバイルバッテリーを買わないといけないかもしれない。
家賃が毎月2万違うだけかもしれないが、
駅に近いか遠いか、それだけで、日々のストレスが軽減されるかもしれない。
ちりも積もれば山となるように一事が万事になるように
1つ無くした人間は、どんどん無くなっていくようにできていて
1つを得た人間はどんどん取得していくようにできている。
お金のある家庭の子供は、
その、どんどん取得していく流れの一事に該当し、
お金がない家庭の子供は、どんどん無くなっていく流れのちりでしかない
人間が平等だった世の中は、数万年前にとっくに終わっている。