今日 午後 1時過ぎ

 

おじさんが本人のともう一台の自転車を

ドミノ倒しにしてる横を通って

 

あっと思って

せめてカゴから落ちた買い物袋の中身だけでもと思った瞬間に

自分の脳裏に

この時期に見知らぬ人に食材を素手で触られるのってどうなんだろうという想いがよぎり

 

足を止める事なく

素通りしました

 

 

どのようにうつったでしょうか

正解であるといいのですが

 

 

つまらない事ばかり

思い浮かぶ世の中になってきた

と言うより

つまらない事を思う人間になってきた

 

 

 

子供の頃は

暇 とか 退屈 とか

単語の意味すら知らず

何も感じず生きていた などとよく言いますが

そうではなく

 

暇だとか 退屈だとか 思っていました

 

記憶にないだけで、と言うより

言葉を知らなかっただけでした

 

 

その言葉を知るまでは

もっと別の何かに無造作に記憶されていたものが

 

 

それを知ってから

暇という文字に まとめられた記憶は

雑に篩にかけられ

その言葉しか知らない僕は

数多くの記憶を1つにまとめ上げてしまいました

 

 

多くの種類の 色の 匂いのそれを持っていたにも関わらず

1つの言葉に縛られ 

どんどん1種類にまとめあげられてしまうのでした

 

これが感性の低下というものだと感じました

言葉は 

使い方を誤ると凶器になり

同時に自分の首を絞める道具にもなりました

 

 

 

使う以上は

もっと知る必要があると思いました

 

 

それと同時に

言葉に収めない方法の

記憶の残し方 その磨き方を

学ぶのでした。