気圧差で音の消えた世界

 

 

『ALL or NOTHING』

の人は子供脳らしい。 

 

芦田淳 さんの本に書いていた

言葉自体は曽野綾子さんの本

 

 

 

 

ハマったら後先考えずお金を費やし

飽きたらそれを全部売ったり。

 

お酒に入り浸っていた生活が

辞めた途端1滴も要らないようになったり。

 

 

自分は完全にそれに当てはまる。

モノ、人、仕事など、

100か0でしか関わる事ができない 

 

一途だとかそんな良いものではない、

非常に世渡り下手な性格だと思う。

 

 

 

 

好きなものは好きで

後はそれ以外って感じ。

 

 

ただ、人間なので

好きになる事はある。

例えば、熱帯魚が好きになったり

車が好きになったり。

違ったジャンルの音楽を聴くようになったり。

 

好きなものに100%を注いでしまっている以上、他のものに関わる機会は比較的少ないが、

奇跡的な出会いのようなものもある。

マツダロードスターや、FDは道ですれ違った瞬間に一目惚れした。

いつか乗りたいと思っている。

 

 

何か自分の知らない世界に足を入れる時は、

落ち着かない気分になる。

 

もっと昔から、この世界を知っていれば

今の自分はどうなっていたのか。

絶対に知り得ないモノほど惹かれてしまうように

未経験のノスタルジーに苛まれる。

昭和の街並みを見た時のような。

 

大人になって出会った素敵な恋人に

一緒に制服を着て学校に通いたかった。

と思う。

 

一生叶わないから、一生付き纏う。

この先の未来に2人で出来ることなんてある程度予想ができるけど、

学生時代、存在しなかった人物を、過去に無理やり登場させる妄想は凄く無理がある。

自分の知らない、その人の学生時代

語りではなく、

この目で見たい。見たくないようで、見たい。

 

 

これらの未経験ノスタルジーを半強制的に投影するのが

小説

という媒体であると考えている。

 

 

 

人から借りた本を読むと

自分の感想と共に、その人はどう捉えたのか

少し想像してしまう。

頭の中の想像は、安易に過去とリンクし、物語と映像に変わる。

 

 

 

 

その人が今読んでいる小説は 

その人の今、人生そのもの、だと思っている。

 

つまりは、

その人が学生時代に読んでいた小説は

その人の学生時代そのもの、だと思った。

 

 

 

 

その人の学生生活の一部を。

恋愛観、価値観、人生観

全て勝手に作り上げてしまう。

そして勝手に落ち込む

自分が登場することのない、学生時代

 

それ以降、小説を読む事は辞めた。

作者、文章、内容、

ではなく、

自分にとって

小説という媒体そのものが、

 

『どうしてもひらいてしまいそうになるが、

1度ひらくと後戻りできない、

未経験ノスタルジーの空き箱』

と化した。

 

 

知ってはいけない 世界

 

儚い。